ずずの読書な日々
 
主に読書日記です
 



ずず乃屋へようこそ

ゆうべは長男のギターの師匠のバンドライブに行ってきました。
相変わらず熱いライブでした

ところで、その会場で長男の前のバンドのボーカルSちゃんと
ドラムのT君に会いました。
そのバンドは決してまとまりの良いバンドとは言えなかったけど、
Sちゃんが全力で存続させようと頑張ってたし、T君も、あのままで
終わりにしたくない、と言っていたにも関わらず、長男が、それなりに事情が
あったにせよ、一方的に解散させる形になってしまったので、
彼らに会うのは気まずい感じがしていたのですが、いざ会ってみると
わりとすんなり話せたので良かったです。

ずっとここのところ、いじけてたのですよ。ひとりで。
ネガティブに。

私は家にお客さんが来て、食事の時間にさしかかれば、お客さんの分も用意して
食べてもらう、という主義でいたし、一度でも一緒に食事すれば
その人に対して親戚の子のような気持ちをいだいてしまうのですが、

本当に親戚の子なら、何ヶ月、何年会わなくてもどこかしらで
つながってる気がするからいいとしても、
たとえば長男のバンドの仲間なら、バンドが解散してしまえば
彼らは家に来ることはなくなるし、ゆり様にしてもN潟からいなくなれば
それまでなわけです。
なのに私はいちいちそういうことに寂しがったり凹んだりしてしまうので
そんな自分に嫌気がさして、もう家に来る人達に愛着や執着を持つのは
やめよう、もっとあっさりとクールにやりすごそう、と思っていたのです。

けれどSちゃんやT君の昨日の様子をみると、私のやってたことは
正しかったのか間違っていたのかはわからないけど、マイナスな行為では
なかったのではないか、と思いました。

すでに別のバンドに加入してるT君は「今度のライブに来てくださいよ~」と
言ってくれたし、おまけに前のバンドを復活させることはできなくても、
せめてなんらかの形で一緒にライブやらないか、と長男に話しかけてたし、
決して気まずい関係にはなっていないのだな、と感じました。

一宿一飯の恩義、ほど大げさなものではないにしても、御飯を食べさせたり
一緒に御飯を食べる、という行為は、なにげないようでいて
案外、大事なことかもしれないと思うわけです。

親戚の子ほど愛着や執着をもたない方がいいにしても、一度関わって
一緒に御飯を食べた人とは、やっぱりクールにやり過ごせない。

自分は彼らにとって、旅館かお食事処のおかみさんのような存在で
いようと思います。

うちに来たい時はいつでも来てね。
来れなくても、たまには思い出してね。「ずず乃屋」のことを。

まあ、そんな感じで。        (ずvず)



10月24日(土)15:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理

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